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好きなこと・やりたいことが全てなのか。

気持ちの整理がつかないので、結論は出ていないけれどここに残しておきたい。

 

私はこれまで何不自由なく育ててもらった。一人っ子で、親や親戚からは大事に大事に、必要なものは全てもらった。

 

幼いころから人見知りで最初こそ消極的ではあっても、環境になれると誰とでも仲良くなったし、学級委員や学年全員の前に立って何かをすることも普通にこなせた。

2歳の頃からピアノを習い始めて 発表会のたびに大きなホールで演奏することがあったから、そのおかげで人前に立つことに慣れていたのかもしれない。

よく人前に立つから、学校では人から顔を覚えてもらっていて 向こうから親しげに話してくれることもあった(私は相手を知らないことが多かったが)。

 

ピアノ、ドラム、塾、ソフトボール、絵画教室と小学生の頃から習い事をさせてもらったので、片田舎の学校では文武両道、芸術の方面も人並み以上にはできていたと思う。もちろん社会に出れば自慢できるようなレベルではないのだけれど。

 

しかし、スキルのレベルよりも私に大切だったのは「人並み以上にこなせて褒められること」だった。人よりできて当然、これだけ恵まれた環境で育ったのだから、とそれは自分へのプレッシャーでもあり自信の裏付けにもなっていた。恵まれた環境というのは、他の家庭状況や友人との金銭感覚の差を知るにつれて知っていった。

 

両親は二人とも経営者で稼ぎはあり、なおかつ一人っ子の私に全て愛情が向けられる。どんな人とも広く浅く仲良くでき、特に大きな苦手分野もない。真面目で堅実家、努力の仕方も知っているし、向上心がある。

 

学校の中ではきっと「よくできる子」という立ち位置だろう。計画性はなく突発的で 人の顔色の変化には敏感だが 人は人で自分は自分と思っているので特に手出しはしない。だから皆をまとめる情熱的リーダーという模範生にはなれないかもしれない。まぁ情熱はなくてもリーダーくらいはやれるしこれまで何度もやってきたけど。

 

 

上記のような自負を口に出すことは恥ずかしいし、「よくできる子」なんて言っておいて受験でもあれだけ熱中した高校バスケでも失敗しまくりの人生だったからカッコ悪いのだけれど、僕は大体のことは何でもできたから 「やりたいこと」より人に褒められたり人より上手くできることを優先して生きてきたように思う(ただの自分の感想なので、他者から「いや、お前はそんなタイプじゃなかった。中の下レベルだったよ」と言われても知ったこっちゃない)。

 

大学3年生の時に「もっと自分の本音に素直になって好きなことをやりたい」と思い、大学を休学して世界一周し、その期間中にイラストを描いていた。僕は中2で「教師にならなきゃ」という義務感で教師を目指す前は、漫画家やモノづくりをする人になりたいと思っていた。何かを作るのが何よりも好きな子供だった。

 

その休学中の経験から、とりあえずは夢の区切りとして教員免許は取得するけれど、大学を卒業したらモノづくりの道に進もうと決心し、大卒後は1年間 東京ゲームデザイナー学院でデッサンや2D・3DCGの勉強をした。この期間は本当に楽しかった。

初めて生きている心地がした。これまでの人生っていったい何だったんだろうって思うくらい楽しくて充実していた。たとえ教室内で自分が一番絵がうまくなくたって、自分が前よりも上手く描けることが嬉しかった(もちろん自分の性というか、誰よりも上手くなることは念頭にあったけれど)。

 

専門学校卒業後、私はインターンとしてWEBデザイナーの職種で企業のお世話になっている。職場は至れり尽くせりで初心者の私にとてもよくしてくれている。これまでの経験から社会の冷たさを覚悟していた僕にとっては本当にありがたいし、念願の東京で居場所を与えてくれた社長さんにも本当に感謝している。

 

職場や職種に全く不満はないし、うまくいきすぎて本当に大丈夫だろうかと心配になることもある。

 

 

ただ、念願の職種だとしても、去年と変わらず楽しいかと言われれば一点の曇りなくYESとはいえない。なぜなら今は毎日筋トレをしているようなものだからだ。

 

私は中学の美術部から高校に入ってバスケ部で1からバスケを始めたとき、最初は体力もなくてキツイばかりで、全然楽しいとは思えなかった。けれど周りの仲間から丁寧に教えてもらったり、少しずつドリブルの回数が増え、シュートが打てるようになって初めて好きになっていった。だから、今もそれと同じような境遇なのだと思っている。

 

時々、今日のように心が晴れない日は「今やっていることは楽しいとは言えないけれど、それでも自分は道を間違っていないと言えるだろうか」と自問することがある。

 

昨年やりたいことをやれる日々の楽しさを知って、これからは一生好きでもないことはするまいと決めた。だから「あぁ疲れたなぁ、休みたいなぁ」という日々が続くと「本当に楽しいと思えることをやっているのか?また自分の心に嘘をついて努力でなんとかしようとしてるだけじゃないのか?」と不安になってしまう。

 

好きなことを続けるためにやらなくちゃいけないこともあるだろうけど、それも乗り越えられるのが本当に好きなことじゃないのだろうか。今は自分の「好き」に自信が持てなくなってきているし、今やっていること以上にやりたいこともない。

「好きなことをやる」ことがどういうことなのか分からなくなってきている、今日この頃です。

「恋愛したい!」の思いに男女差はなくないか?

最近 「よっしゃー!マンガの新規開拓で100タイトル読むぞー!」と意気込んでいるユニオン屋です。

 

本が大好きなのですが置き場所に困ってきたため、マンガを読むなら当分ツタヤでレンタルにしようと思い立ちました。

 

そこでツタヤの漫画コーナーをそれこそ舐めるように眺めて気づいたのですが、「少女漫画ってホント恋愛ばっかだな」と思いました(すげー今更。いや、気付いてなかったわけじゃないんですよ。ただあまり読まないので気にもかけてなかっただけ)。

 

少年・青年漫画はありとあらゆるジャンルがあるのに、少女漫画の醍醐味は恋愛ありきで ジャンルや背景設定はおまけ、みたいな印象を受けます。まぁ少年・青年漫画は逆に「なんでもバトルしようぜ!」的な話に集約されるのかもしれませんが。

 

私は女なので時々耳にする「男はそれこそ若いときは誰でもエロいことばかり考えてるんだぜ」的な話は「ふーん、そうなのか」という感じです。まぁ私はレズ寄りのバイセクなので女性のどういうところに魅かれるかという話には納得できる部分もあるのですがそれは別として。常にエロいこと考える、というのは私はないです正直に。(俺は男だけどそんなことないよ!一部の男だよ!という反論があれば謝ります。逆に女だけど常にエロいこと考えているよ私、という人がいましたらそれも謝ります)。

 

私は男性のほうが女性よりムラっとしやすい性別なのだと個人的には考えています。そう思う例としては電車内の痴漢とかですかね。私も毎日新宿行きの満員電車で通勤していますので、こんなむさ苦しい場でよく痴漢とかする気になるよな、と不思議でしかたないのですが、男性から女性に痴漢することはあっても逆はあまり聞きません。

逆に男性が痴漢にあっても、女性の手を取って「この人痴漢です!」とは言いにくいのかもしれませんが。。まぁ可愛い子からだったら…いや、この話はやめよう。どんなに可愛い人からでも知らない人から急に触られたら怖さのほうが先に立つかもしれない。

 

まぁ先ほどの「男性は常にエロいこと考えてる説」も半信半疑なところはありまして、私の周りには紳士的な男性ばかりなのでなかなかそういう話は彼らからは聞きません。

 

 

まぁ、つまるところ何が言いたいかというと「男性ばかりがエロいこと考えてるわけじゃなくて、少女漫画だって恋愛(好きな人とイチャイチャしたい)ばかりで女性も大差ないじゃないか」ということです。はい。それが今回ツタヤに行って気づいたことです。

 

そんなの当り前じゃないか、と言われれば確かにそうだとしか言えないのですが。。

 

学習指導要領の「異性への関心」記述について。

小・中学生の新学習指導要領でいくつかの議論が繰り広げられているようですが、個人的に興味があったのは「異性への関心が芽生える」という記述がLGBTに該当する人々に対して配慮されてない、みたいな議論です。

これについては まぁどうだかなと思う。やっぱり同性愛は不自然だと思う人も中には(少なからず)いると思うからだ。

 

そんなことをいうと、差別だなんだと言われそうだが(言われないかな)、私自身がレズ寄りのバイセクシャルにあたるLGBTの一人で、二十何年間 結構これについては悩まされてきたし、LGBTの一人として少しは思うことを主張してもいいのではないかと思うので書きます。

 

その前に自身のことを少し書いておきます。

私が自分が同性を好きなことで悩み始めたのは小学校6年生のころ。今考えるとそういえば幼稚園の頃から好きな女の子がいたなと思うのだけれど、幼稚園生じゃまだ恋や愛だの知らないし、親も気にしないだろうから別に違和感は抱かなかった。

 

私は一人っ子で蝶よ花よと大事にされ、親や周囲の期待に応えるのを当たり前としていた。それは今でも大本は変わらず、周囲の期待に応えることが自分の価値だと思っている節がある(最近よくないと思って直そうと思っている)。

 

だからなのか、小6になる頃には同性愛ってのは世間的には優遇されないものだと感じ取っていて、自分の中にそういう人から褒められない部分が根付いていることにひどい嫌悪感を抱いていた。

 

大学2年でジェンダーの授業を受け、そこで同性愛というのは遺伝子的なもので生まれながらのものだと教わり少し安堵したのを覚えている。それまではこんなに親や人間関係に恵まれて大事に育てれてきたのにも関わらず、自分にどこか欠陥があったせいでこんなろくでもない同性愛者になってしまったのだと自分を責め続けていた。

 

ろくでもない同性愛者って思っているのは、恋愛成就がしづらいからである。同性が好きになったときは気持ちをひたすら隠してきたし、異性が好きな時は告白してたとえ玉砕したとしてもそれで終わりだけれど、同性愛者だとバレたら一生人から嫌がられると思っていたので。

 

今では周りの温かい友人のおかげで「ひょっとしたらLGBTってそんなに嫌悪されてる人種じゃないのかも」と思い始めて、今年Facebookで友人全員に対してカミングアウトしちゃいましたけど。何人かは友達からいなくなるかと思ったけど、今のところ現状変わりなしというか、むしろそんな自分でも認めてもらえるんだなーと新鮮でした。

 

 

長くなったけれど、要は私はLGBT当事者だけれど同性愛が気持ち悪い、不自然だって思っている節があるし、だからノンケの人がそう思うのだって自然な感情だと思っている。むしろノンケなのにLGBTに理解がある人って、すごく私にとっても有難い存在なんだけど、気持ちがよくわからない。え、なんで気持ち悪くないの?って思う。

 

ひょっとしたら今回の学習指導要領の改訂で「異性への関心」でなくLGBTの人にも配慮した書き方がされていたのなら、将来的にLGBTを不自然だと思う子供は少なくなるのかもしれない。それとも、「同性愛は不自然」っていう刷り込みのためじゃなくて「生理的に無理」っていうのがある種の人間にはもともと備わっているのかもしれない。

例えは悪いけど、女の子は虫やカエルが苦手な人が多いみたいだし、そういうもんなのかもしれない。

 

まぁ、私も同性愛が実ったら少しはLGBTの自分に対しても優しくなれるというか、許せるようになるのかもしれないな。同性と両思いになったのなんて、高校の頃以来だもの。そんなの前世の記憶みたいなもんだよ。

戦争の臭いがして何だかとても嫌だなぁ。

最近のニュースで新学習指導要領の内容に変更があると知り、特に中学で銃剣道の授業が取り入れられること、「パン屋から和菓子屋、アスレチックから和楽器店に教科書内容が変更されること、また2018年から道徳の授業に成績評価が行われることに疑問を抱いたのでメモしておく。

 

教科書内容が「パン屋から和菓子屋」に表記が変更された件について、文科省はネット上での批判を受けて「それは文科省の指示ではなくて出版社の判断」と述べているらしいが、真偽のほどはどうだか。

 

私は普段ニュースは見ない、テレビもない生活を送っているので、本当に世間で話題になっている事柄しか耳に入ってこないのだが、この教育内容変更のニュースはあんまりだろうと思う。

 

私も中学・高校の英語教員免許を取得して教育に関しては少し知識をかじった程度ではあるので言いたいが、人間をつくるのは育った環境であり教育であると信じている。

教育は洗脳の一種だと思うので、確かに私も国のお偉いさんだったら国民を変えるためにまずは教育から手を付けるだろう。

 

だから、今回の学習指導要領変更の件については、戦前に行われたように外来語を日本語に直して使ったり、銃剣道授業を行ったり(柔剣道じゃないのかと二度見しました)することが採用されたので、国民の意思とは反して政府は戦争に国民を巻き込もうとしているのだなーと思いました。

というかそもそも、こんな平和ボケしているゆとり世代を筆頭にして(?)戦争なんてできるのか、というのがなんとなくの疑問です。

 

まぁ「右向け右」の国民性だし、スイスのように「俺は永世中立国だ!」と断固戦争拒否をするような力も日本にはないから、政府が本気で戦争しようと決心したらできちゃうのかもしれないけど、そうなる前に私は国外逃亡します(笑)まだ死にたくないものな。やれやれ。

 

 

おまけというか他の議論として、聖徳太子厩戸王と記述するか否か、元寇は?鎖国は?という表記の仕方については個人的にすごくどうでもいい。けど私が現役の小学生や中学生なら、変更するにしてももっと簡単な漢字にしろよな、とか思うけど。

厩戸王とか漢字の書きミスで減点されそうだし。ギャグマンガ日和聖徳太子厩戸王とか呼ばれちゃうと偉そうで嫌だし。。ていうか「うまやどのおう」って馬宿の王って感じがしてすごく小学生に笑われちゃいそうだよね。まぁギャグマンガ日和的にはいいのか。

 

「異性への関心」表記についての議論は長くなりそうだったので次回に。